旧「井甚織物」工場
明治34年に井上甚太郎が創業した有限会社「井甚織物」(いのじんおりもの)。昭和41年に帯の製織新工場として建てられたものが現在のINOJINの建物です。物置を含めた広さは100坪。平成23年に改装して工芸倶楽部と蕎麦カフェをオープンしました。令和2年には開業9年目を迎えます。
画像はオープン前の平成22年に撮影した建物です。
建物の傷んだ部分を直し、電気・ガス・水道を整備しました。一番大変だったことは下水道の設備が無かったこと。浄化槽を取り付け、水洗式のトイレに替えました。オープン直前に東日本大震災が遭ったものの、なんとか予定通り開業しました。
外観 北東側内部 南西側内部 トイレ
平成27年の改装後
平成27年に国の「小規模事業者持続化補助金」に応募して、主に外観の改装を行いました。イメージカラーにイングリッシュグリーンを用い、扉も英国アンティークのステンドグラスの入ったものを取り付けました。外観に関しては大きく変えましたが、基本的には元からあったものを生かしていく方向で進めました。トイレはイメージをそのままに保つため、扉は前のものを活かしました。昔ながらの木の鍵が懐かしいとよく言われます。
上の画像と同じ位置から見た外観と内部 カフェ 工芸倶楽部 トイレ
これからの歩み
平成28年には白蟻の被害を確認し、二ヵ月間休業し、ほぼ床下全面を剥がして薬剤を塗布する処置を行いました。この経験から、修繕費調達の必要性を感じ、その手段としてのカフェの充実を図りました。具体的には南西側の一部を囲み、蕎麦打ち場を開設。保健所の許可を得て、持ち帰り用の蕎麦の販売も始めました。
古い建造物を遺していくことは、新しい建物を造るより大変な一面もあります。ただ、一度壊してしまったら、二度と元には戻せないので、私は桐生のシンボルでもあるノコギリ屋根の建物を一日でも長く保存したいと願っています。そのために蕎麦カフェや工芸倶楽部の活動を通して維持していける努力を続けていきます。
この建物で行った作品展や演奏会、食事会についてはこちらをご覧ください。
記憶に残っている頃から絵を描き、ものを作っていました。美術の道に進みたいと思ったのは、中学生の頃。高校生の時には、工芸分野が好きなのだと気が付きました。それ以来、ずっと衣食住の工芸を学んできました。時々、何が専門なの?と質問を受けるのは、陶芸をしたり、染織をしたり、蕎麦を打ったりするのがかけ離れているように見えるからでしょうか。私にとっては、すべて同じもの作り。技法や材料が違うだけです。生活に使う多くを自分の手で作り出したいと思っていたら、このようなライフスタイルとなりました。